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肝内胆管癌 闘病記 第11部 恩師等との再会、モーズ軟膏治療の実施

恩師等との再会、モーズ軟膏治療の実施

(2010年)
4月25日(日)
 今日はY恩師や先輩・後輩たちのご一行がお見舞いに来てくれる。
 朝、便意を感じる。ずっと便秘状態にあったから、排便には腹痛が心配される。昨日もわずかな排便があり、暫く痛みに耐えることになった。ずっと食べていないから、宿便が少しずつ直腸に溜まってきたのであろう。お見舞いの日に腹痛を抱えることになったのではたまらない。悩んだ挙句、無理しない範囲で排便に挑戦。痛みも心配するほどでもなかった。排液も夜中に2回行ったが、まずますだ。夜中に目を覚ましたので、昨日同様眠気に襲われ、もう1度寝なおした。

 久しぶりの皆さんがお見舞いに来てくださるので、妻も楽な姿勢で対応できるように気を遣ってくれたが、自分としては、ありのままの姿で対応したいと思い、点滴も付けたままにした。1時過ぎ、Y先生(恩師)、M先輩、K後輩夫婦の4人が顔を見せてくれる。皆さんとは、Y先生の退官記念でお会いして以来だ。手術をしたことなどはお話していたが、詳細はお話しておらず、Y先生はブログの内容に驚き、一気に読んで下さったそうだ。しかも、よもやま話まで含めてプリントアウトしていて、重い文書の束を持ってきておられた。K夫妻も、だんなが脳腫瘍や肺がんを克服して元気に頑張っている。口から飛び出してくる大学時代の友人の名前に当時のことが思い出される。みんながすぐにも来たがっていると聞いて、本当にうれしくなった。
 夜8時前に後輩のN君から電話があり、今日は参加を止められたが、メールで今日の写真をもらい、思い切って電話してくれたらしい。有難いことだ。たくさんの仲間たちが気を遣ってくれていること、快復を祈ってくれていることに少しでも応えることができればいいのだが。

4月26日(月)
 今日は日赤皮膚科でモーズ軟膏の処置をしていただく予定日。いつもと同じで、何度か目を覚ましたが夜中の排液は1度だけでおさまった。確かに液の出る量は半分くらいになっている。しかし、夜中に目を覚ますからかどうかは分らないが、日中眠くなるのは同じだ。今日も、1時間ほど寝ようと11時半頃に横になったが2時間も寝てしまい、日赤予約時刻の30分前に妻に起こされた。願わくばあと10分でも早く起こして欲しかった。
 2時ギリギリに外来受付を済ませると、少ししてY先生が来られ、また形成外科の処置室に通され、準備を開始する。オープントップと同じように蓋付きで、サイズも少し大き目の袋を見つけたということで使おうとしたが、残念ながら失敗し、今回は予定通りガーゼとパッドで対応することにした。皮膚を保護するための処置にいろいろシールや保護装具を貼り付け、その後M先生が周りの皮膚を保護した上でモーズ軟膏を付けたガーゼを貼り付け、その上にガーゼとパッドを当てた。思った以上にいろいろと皮膚保護の処置をしたため、皮膚を突っ張る感じがして違和感が強い。暫くの間の処置なので我慢、我慢! 明日、少しでも低くなるように削れることを期待したい。また、今日は使えなかったが、少し大きめの袋が使えることを期待したい。そうすれば、ガーゼ・パッドよりも動きやすいと思われ、お腹周りの見苦しさも少しは解消されるかもしれない。

 日赤から帰って、暫く机の前に座って日記などをつけていたが、丁度妻も買い物から帰ってきたので身体を起こすと、何か背中の方に少し違和感を感じた。「漏れたかな?」と思って手を背中に回すと妻から「ちょっと待って。漏れているわ。」と制止される。指にはねばいものが付着していた。背中では、パンツ、ズボンに至るまで、漏れ出たものが付着している。急いで汚れた物を脱ぎ、パンツを履き替え、ガーゼや尿漏れパッドの貼り替えの準備を済ませた。ナースコールで看護師さんを呼び、貼り替えをして頂きながら“なんでこんなものが漏れ出たのだろう”と考えるうちに、1つのことを思い出した。日赤から戻り、片付けと着替えを終えホッとしたときに何の考えもなくプリンを食べてしまった。治療前は何も食べないように注意していたのに、終わってホッとした瞬間何もかも頭からなくなって、袋ではなくガーゼに変わったことも意識から飛んでしまっていた。だから、漏れてからもプリンを食べたことにもすぐには気がつかなかった。貼り替えの途中で思い出したものの、目の前では3人の看護師さんがてんてこ舞いの状況であり、貼り替えが終わって看護師さんが帰られた後妻にこっそりと打ち明けた。
 その後、ホッとした訳でもなかろうが、またまた寝てしまった。何度か目を覚ましたが、ベッドから身体を起こしたのは夜の9時になっていた。何と言うことだろう。身体を横にするだけでいくらでも寝てしまう。痛み止めの副作用だろうか?こんな状態で大丈夫なのだろうか?

4月27日(火)
 余りに日中に寝ているので昨夜も目が冴えてしまい、12時を過ぎても明かりをつけていたり、夜中に爪を切ったりしたものだから、妻に叱られてしまった。分っていながら、眠れないときというのは仕方がないものだ。1時ごろ消灯しうつろうつろしていたが、夜2時ごろにガーゼ交換をしてもらい、朝は7時ごろに再度ガーゼ交換してもらった。
日赤の今日の予約は5時。ほぼ予定通り処置を開始する。モーズ軟膏による固定化はまずまずできているようで、今回の切除でかなり高さを抑えることができたようだ。今日はまだ袋に変えることはできそうになく、再度モーズ軟膏を塗り、次回腫瘤の外周を削れば全体に小さく出来るだろう。そうすれば、袋への切り替えもスムーズになるだろうと期待される。

4月28日(水)
 今日も朝早くから目が覚めたが、また、2度のガーゼ交換で目を覚ましたが、8時過ぎまでベッドから起き上がることができず、腹部の痛みを感じながらぐずぐずとしていた。8時半ごろやっと起き出し、着替えを済ませて携帯電話をいじっていたが、妻が窓際の陽だまりに椅子を置いてくれたのでそこに座ってメールの整理などをしていた。携帯を持つ手がすぐに疲れてじっと持っておられなくなる。何と!ここまで体力が無くなったのかと驚く。これでは箸も持てなくなるのではないかと半分冗談ではなく気になってきた。そのうち、急に血の気が引いたような身体の不調を感じる。このままこの椅子に座っていたら危険だと思いゆっくり立ちあがる。妻が100円玉が無いかと聞いてくるが、「引き出しの中の財布にある」ということが言いたいが「財布」という言葉が出てこない。妻は洗濯場にあるコインランドリーに洗濯物を取り込みに行ったらしい。自分はベッドに腰をかけて携帯のメールの整理を続けようとしていたはずだ。洗濯物を持って部屋に戻った妻が見た私の姿は、目を開いたままベッドの後ろに倒れこんだ光景だったらしい。妻も最初は分らず、私に近づいてよく見て初めて異常事態に気がついたらしい。恐らく、貧血か何かで私が気を失ってベッドに倒れ込んだらしい。すぐに看護師さんや先生が来られて足元を高くして身体を寝かせてくれたので、すぐに気分も楽になった。私には最初は何が何だか分らなかったが、すぐに事態は飲み込む事ができた。

 その後も、身体を起こすことが面倒になり、ずっとベッドに身体を横たえたままであったが、昼からはお二人のリハビリの先生が来て下さり、身体のマッサージやストレッチなどをして下さった(元々今日からリハビリの開始予定であった)ので、気分転換にもなったし、夕方日赤に治療に伺う体調確保に大変役立ってよかった。
 また、11時前には沖縄のS君からお見舞いの電話をもらった。私どもの新婚旅行のときに会った限りで、その後2回ほど沖縄に行く機会があったのだが、ついつい遠慮して会うことも無く、この様な形で本人の声を聞くことになってしまった。是非近くこちらに来たいということで、それまで元気でいろよと励ましてくれる。年賀状だけの関係になってしまっているが、大学時代のゼミやサークルの仲間から次々見舞いの電話をもらい、本当にうれしい限りだ。

 今日5時からは、モーズ軟膏を2回続けて使用した後の処置の予定になっていた。4時ごろに長男が様子を見に来てくれた。有難い。4時半ごろには妻が西条から帰ってきた。本当は、今日は西条に泊まる予定であったのだが、今朝の貧血騒ぎで要件を済ませた後急いで松山に引き返してくれた。日赤までのわずかな車での移動でも、長男のセダンのような車よりもワゴン車の方が身体に負担が少なく助かる。さて、5時過ぎ予定通り治療を開始してくれる。再びモーズ軟膏で固まった癌組織をはさみで削っていく。今日も時間をかけてかなりの量の組織を削ぎ取ってくれた。低くなってくると少し出血があったり、痛みを感じるところもあった。その後、これまで腹部を痛めてきた皮膚保護剤や保護シールを剥がし(これがまたちょっとばかり痛みを感じさせてくれる)、いよいよ袋に変えてくれる。腫瘍の高さはそこそこ低くなったものの、外周はわずかに小さくなった程度のようで、それでも幾分貼り付けが楽になったようだ。皮膚の痛みが治まるにはまだ少し時間がかかると思われるが、袋に戻ったことで、精神的にはかなりホッとした。
 次回はGW明けの5月6日の5時に改めて治療を再開することになるが、それまで袋の状態で過ごすことができる。有難い。ベテル病院に戻ってから、妻がお祝いにアイスクリームのカップを渡してくれる。食べるものを我慢し、水だけで過ごしてきた。やっと開放されたことへのお祝いと痛みに耐えてきたことへのねぎらいであったが、アイスのカップ半分をゆっくりと味わって残りは妻に渡した。

4月30日(金)
 10時ごろリハビリの先生が来られてストレッチと4階にあるラブリーガーデンまでの歩行を実施。今日は余り疲れることもなく、そのまま部屋まで帰ってきた。
 11時過ぎから風呂に入り、今日は入院後初めて妻に背中を石けんで洗い流してもらった。最近は足が上がらず足先まで手が届かないでいた足先も洗い流してもらった。
 午後、ずっと待っていたリハビリのU先生が来られ、リンパのマッサージをして頂いた。本当にソフトマッサージだ。リンパは身体の表面に近いところにあり、軽く押し広げるようにゆっくりと脇の下から足先まで時間をかけてマッサージしていき、今度は逆に足先から脇の下まで同じようにソフトマッサージをしていくそうだ。ただ、足に溜まった水をリンパに戻すには時間をかけて加圧しながら戻すのが効果的で、Uさんは、再度6時半ごろに来られ、足のむくみを改善するため、コットンの包帯を使って足の指先からふくらはぎまで加圧しながら巻き上げてくれた。その巻き方に専門家のノウハウがあるのだろう。ただ、自分は足元が加圧されるのは苦手で、いつまで耐えられるかわからない。他の患者さんでも途中で外してしまう方も結構いるらしい。
 4時ごろには、3人目のリハビリの先生が来られ、マッサージをしてくれた。3人のリハビリの先生がそれぞれの専門の立場から診てくれるので、結構慌ただしかったが身体は楽になった。

 5時ごろからは、お腹の袋の貼り替えをした。まだ漏れていないが、明日は家族写真を撮る予定であり、途中で漏れないように今日貼り替えることにした。
 なんとか明日から無事自宅に戻れそうだ。21日に入院してから、日赤での皮膚科の治療も含めていろいろあった。退職の挨拶状を見て驚いて急いで見舞いに来られたり、電話をかけてくれたり、有り難いことも多かった。わたし以上に妻が疲れたと思うが、これで、自宅で少し落ち着いた時間を過ごせるといいのだが、なかなかそうもいかないのだろう。モーズ軟膏の治療が一段落すれば落ち着くと思うが、妻と一緒にゆっくり散歩できるようになるには、今は頑張り時だ。


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肝内胆管癌 闘病記 第11部 ホスピス入院

ホスピス入院

(2010年)
4月21日(水)

 今日は松山ベテル病院への入院予定日。昨晩はベッドに入った時間が遅かったが、6時過ぎまで熟睡してしまった。袋の中が心配だったが、こちらも心配したほど出ておらずそのまま排液した。
 8時過ぎにベッドを抜け出し、体温を計ってみると38.9度もあった。39度近い熱が出るというのはこれまでなかったことだ。ただ、お天気もいいし、これから病院に入院することでもあり、そのまま出発の準備を続けた。寒くならないように着込み、ノートPC、色鉛筆とスケッチブックなど個人趣味のための荷物もカバンに納めた。

 12時過ぎに妻の運転で出発。13時10分ごろベテル病院に到着。早速、レントゲン、CT撮影、採血などを1階で済ませ、担当の看護師さんと共に4階の病棟に上がり病室まで案内された。最初に聞いていた病室ではなく、トイレも完備しており窓からの景観も悪くはなかった。自分もパジャマに着替え、妻と共に持ってきた荷物を備え付けの家具に納める。気になっていた体温も38度半ばから37度半ばまで下がってきた。2時過ぎに排液に行くと、袋の出し口からスムーズに液が流れ出ない。不思議に思い、袋の元のほうを押してみると“どろっ”としたものが流れ出た。血の塊のように思われた。再度袋の元のほうを押してみるが、なかなか流れ出ない。袋の出口が丸くなるようにつかんで何度か元のほうを押してみると大き目の“どろっとした塊”が流れ出た。血が凝固したものに間違いなかった。しかし、これ程血の塊が出たのは初めてだった。出血量が増えているのではないかと心配になった。

 夕方にかけて何人かの看護師さんが顔見せに部屋に来てくれた。また、夕方には、担当の先生(N先生)も顔を見せてくれ、最近の状況や、こちらの希望、特に思っていた以上に早く入院することになったので、その背景を知りたがっている様子であった。今回早く入院することに決めた理由の一つに、大きさを増してくる癌組織を早くモーズ軟膏で削って少しでも小さくしたいという希望があり、日赤皮膚科のM先生との調整を進めたい旨をお話した。そうすれば、西条での自宅治療を行うことも容易になる。N先生はすぐにM先生と電話連絡をとり、日程調整をするように言って下さった。また、できれば、5月連休前までにM先生の処置を終え、5月連休は自宅に戻れることを1つの目標にして頑張ろう、と言って下さった。

 いろいろN先生からお話を聞いている中で、「痛みを我慢しない」ことの重要性を再認識させられた。我慢しているのは“頑張っている”ように見えて、実は痛みに耐える大きなストレスを感じている。痛いために身体を動かすことが憂鬱になってくると体力が益々失われていく。このようにストレスが溜まったり、体力が失われると自己免疫力が次第に失われ、ますます癌が活動しやすい環境を作ってしまうことになる。頑張っているようで、実は、むしろ悪循環を作り出しているに過ぎないということになる。N先生からも、痛みについては、我慢しないで何でも言って欲しい。ストレスが残らないようによく話をしながら進めましょうと言って頂いた。

 さて、昨日の袋の貼り替えはうまくいったみたいで、何とかもう一晩持ちそうな気がした。夜も遅くなって、寝る前にちょっとだけ身体をベッドに横たえたところ、いやな匂いがすると共に、指で袋の端をなぞると背中側の肌に漏れの湿り気を感じた。まずい、と思ったがどうしようもない。すぐに中身を排液して漏れの程度を確かめるが、場所が背中側であるので、いくらテープで補強しても漏れを抑えることは困難と判断した。ナースコールを押して看護師さんを呼び、袋の貼り替えが必要であることを伝える。今日は妻も西条に帰っており、看護師の誰もが未経験者になる。しかし、仕方がない。とにかく、大雑把な貼り替えの手順について説明し、開始する。ベテラン看護師であるから剥がすのは慣れたもので、剥がして腫瘍の周りを石鹸で洗って乾かすところまでは何とかうまくいった。問題は、皮膚保護剤で“土手”を作るところと、狭い空間に袋をかぶせるところの注意点だ。こればかりは私からは説明できない。結局夜中の12時になったところであったが、妻の携帯に電話して看護師さんに要領を伝えてもらった。おかげで何とか看護師さん2人で貼り替えを済ませることができた。入院初日に袋の貼り替えをすることになるとは、思いもよらなかった。

4月22日(木)
 朝10時半過ぎ、高校、大学の同期のK君から電話があった。退職の挨拶状を読んで驚いた様子であった。大学卒業後もなかなか話をする機会がなく、お互いに無沙汰をしたままであったが、このような再開になってしまった。
 さて、最近、足のむくみがとにかくひどい。太ももまで時間をかけてマッサージなどをするが、今度ばかりはほとんど改善しない。N先生の話によると、むくみは腎臓機能、肝臓機能、心臓機能などによって引き起こされることになり、血液検査の結果では腎臓機能は正常値となっているそうだ。一番気になるのが、肝臓機能が弱っていることと、そして、点滴でかなりの水分量を身体に入れているので心臓に相当な負担をかけていることだ。それが肝機能の低下と相まってむくみとなって現れている可能性がある。胆管癌の進行がとうとう日常生活に必要な肝機能を賄うに充分な大きさの肝臓を確保できなくなったのだろうか。そこへ大量の点滴で水分が送られてくるので、肝臓や心臓が頑張ろうとして働くものだから、肝臓や心臓の負荷が増大し、むくみとなって現れているのだろう。そういえば、最近自分でも驚くほど体力が落ちており、わずかな距離を歩くだけでも疲れやすく、階段や石段を上がるとすぐに息切れしてしまう。心臓が大きな負荷を受けていて疲れやすくなっているというのはその通りであった。
 それ以外の血液検査の結果では、総ビリルビン値が10ほどになっているとのこと。驚くべき数値だ。最高値更新である。しかし、家内もN先生もそれほど驚いた表情を見せない。実際、更に皮膚が黄色くなったりしているが、眼球は以前ほど黄色くなったように感じられないとのことで、驚きも少ないのかもしれない。白血球数も10,000ほどあるそうだ。これは、やはり身体の中で炎症を起こしている可能性があるが、私には、これまで抗癌剤などのいろいろな治療によって抑え込まれていたものが、その影響が少なくなりむしろ腫瘍の進行や痛みに伴う炎症等に反応して増えているのではないかと思われた。

 もう一つは、心配している通り貧血気味の数値になっている。しかし、輸血となると、血液は栄養の塊でありその処理のために肝臓に大きな負担がかかってしまい、そのリスクとのバランスを考える必要があるとのことであった。
こうしたことを考慮し、N先生としては、点滴に使っている輸液は濃度を高めることができるので量を半分にして、同時に肝臓や胃などの内臓を保護する薬を加えながら様子を見ていくということであった。是非、実施して頂くようにお願いした。

 さて、夜10時ごろ5年前に退官された大学の恩師、Y先生から電話があった。Y先生も、退職の挨拶状を読まれて驚かれたようだ。ついては25日か29日に私の先輩と一緒にお見舞いに来たいとの連絡であった。お会いしたくてもなかなかその機会がなかったので、願ってもない話であった。日程が確定したらまたご連絡頂くということで電話を切った。もし、K君が同席できれば、(楽しい再会ではないかも知れないが)更にいい再会になるかも知れない。

4月23日(金)
 眠い。いつもそうだが、日中頭がボーッとしてくる。午前中一眠りした。午後になってもひと眠りしてしまった。実は、今日は2時から日赤皮膚科のM先生の外来受診の予約を取っていた。ところが目が覚めたのが1時20分。急いで仕度をして妻に送ってもらった。最近はだいたい日ごろの60%程度のエネルギーに見合ったスロースピードでしか動けない。物忘れも多くなったかも知れない。

 2時ギリギリに外来受付を済ませると、少しして名前が呼ばれた。すると、外科のY先生が来られて、前回のように形成外科のベッドの方に案内される。どうも、今日からモーズ軟膏を使うつもりで必要な機材の準備をしていたようだ。しかし、25日はY先生と先輩に加えて後輩もお見舞いに来てくださることになっており、Yさんにはモーズ軟膏を使うのは26日以降にしたい旨をお願いした。M先生とも相談して下さり、4月26日にモーズ軟膏を使い、27日28日をガーゼ交換で対応しながら通院ベースで削る処置を進めることにした。1回で終わるかどうかは処置の進行具合ということになるだろう。
 ただ、袋は貼り替えの時期でもあり、処置をする上で状況を確認しておいてもらうためにも、病院で貼り替えだけはやっておくことにした。26日まで持たせるには3日あり多少の心配はあるが、割り切って貼り替えた。次第に私に合った貼り方のノウハウが溜まってきているのか、それに期待することにする。

 さて、昨日恩師Y先生から電話があり、25日はY先生、M先輩の他にK後輩も地元から出てきてくれるとの事であり、有難い限りだ。Y先生も奥さんの看護があるはずで、後輩のK君も脳腫瘍の経過観察中のはずで、みんな大変なはずだ。ところで、同期のK君にも連絡をとってみたが、25日は既に予定が詰まっており、残念ながら調整のしようがないとのことだ。
 また、ノートPCで使っている古いAirH”モデムがPCに認識されなくなって、使えなくなった。インターネットにダイヤルアップできなくなり、E-mailも使えなくなり、お手上げ状態になった。しかも、入院してしまったのでPCの再セットアップもできない。当面は携帯インターネットしか使えないが、事実上使えないお手上げ状態であることに変わりは無い。


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肝内胆管癌 闘病記 第11部 序

肝内胆管癌 闘病記 第11部
ホスピス入院と新たな生活

 序

 4月8日に松山赤十字病院を退院し、その後在宅治療を続けてきた。何かと慌しい在宅治療の毎日ではあったが、松山ベテル病院への入院には1ヶ月くらいかかるだろうと想像していた。ところが、10日もしないうちにベテル病院に空きが出たとの連絡を受け、日赤退院から2週間ほどでホスピス(松山ベテル病院緩和ケア病棟)に入院することになった。

 “ホスピス”というと一般的には末期がん患者が残されたわずかの時間をできるだけ心穏やかに過ごすための施設と考えられているのではないかと思われ、“ホスピス入院”となるとガンも末期で、余命もわずかと思われるのではないであろうか。私もTVでのわずかな知識しかなかったため、初めはそう思っていた。しかし、1月30日のベテル病院見学、3月6日のベテル病院医師との面談を通じて、ベテル病院の緩和ケア病棟はがん等の患者の生活を安らぎのあるものにするため施設で、そこでの生活は比較的自由で体調さえよければ外出、外泊、短期の一時帰宅なども可能で、なかには病院と自宅を2つの生活のベースとして長く利用されている方もおられること知り、随分イメージが変わった。 もっとも、自分の場合は肝内胆管癌が皮膚の外にまで浸潤転移しており、その後胆管癌が十二指腸まで浸潤転移し食い破ってしまい、食べたものが全て十二指腸から皮膚の外にまで通じた通路を通って出てしまうために食事で栄養を補給することが出来ず、全ての栄養補給は点滴に頼らざるを得ず、更には、いつ黄疸の症状が悪化して肝臓・腎臓等の機能不全による体調悪化や、場合によっては太い血管にまで浸潤転移して欠陥を破壊して大出血を引き起こす可能性を秘めていることを考えれば、必ずしも重篤ではないとは言い切れないかも知れない。

 ともあれ、ホスピスか在宅看護かはいずれ考えなければならない選択肢でもあり、今回はせっかくのチャンスでもある。可能なうちにホスピスを確保しておきたいという思いから、4月21日より松山ベテル病院に入院することを決めた。そして、まずはベテル病院緩和ケア病棟(ホスピス)を生活の基盤とする生活が始まった。以降、これまでの自宅や病院とは違った新しい生活上の『場』をベースにおいて新しい余命の過ごし方を構築していかなければならない。幸いにして、病棟の医師やスタッフの皆さんも大変親切で、また素晴らしい場に巡り合ったという感じがしている。これからどの様な生活になるかは時間をかけて見つめ直していくことにするが、是非とも念願である“心穏やかな生活”になるようにしていきたい。


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肝内胆管癌 闘病記 第10部 在宅ケアで苦労の毎日

在宅ケアで苦労の毎日

4月12日(月)
 今日は慌しい1日となった。朝9時過ぎ、看護ステーションの所長さんと助手さんの2人が、最初の訪問看護として来られた。点滴用ポートに刺す針の交換、点滴チューブセットの交換を行い、一時的な点滴中断時のロックの仕方などの練習を行った。タイミングや装置の位置関係など、それなりに微妙なノウハウがあるようで、すぐに素人がマスターできるものではないなと感じた。
 お昼前に先日挨拶状を依頼した印刷会社に行って、挨拶状のゲラを確認する。こちらはすぐにOKを出して印刷にかかってもらった。
 午後は、少し早めに昼食を済ませ、松山赤十字病院に向かう。退院時の忘れ物を引き取り、くろーば(薬局)に注文していた品を引き取った。ただ、気がかりだった皮膚保護剤がまだ届いていなかったので、どうしても早く入手したい旨を強くお店にお願い(“お願い”というよりもクレーマーの脅迫のようにお店は感じたかも知れない)し、至急の配達手配を依頼した。実際、そのくらい強くお願いしないと真剣になってくれないのが現実だ(現実には、そこまでお願いしても何も対応を取ってくれていなかったのだから、どうしようもない)。その後、病院のトイレで排液し、再び妻の運転で西条にとんぼ返り。
 妻の高速道の運転も慣れてきたもので、3時過ぎには帰宅していた。今日も、挨拶状の住所録の整備をしたけれど、ついつい追加を重ね、印刷手配した挨拶状の100枚に近づき、宛名の印刷ミスが許されない状態になっていた。

 夕方6時前になって、新日本フィルのコンサートが近づいてきた。ジャケットとスラックスに着替え、西条総合文化20100412新日フィル会館に向かう。駐車場を心配して早めに家を出たが、まだ十分余裕がある状態だった。雨が降っているしホール内のロビーは座るところもない状態だと思い、開場の6時半近くまで車の中で時間をつぶした。久しぶりのコンサート。しかも、西条で新日本フィルの演奏を聴くことが出来るとは思ってもみなかった。また、チケットは西条ライオンズクラブの一員でもあり、妻の勤め先であった弁護士事務所の先生からのプレゼントということで、粗末にはできなかった。
 素晴らしい演奏が続き、2曲目の演奏の終わりが近づいた頃、排液の匂いが少し感じられた。まだわずかな匂いだ。少しすると、下腹部で液が漏れ出ている感"の背中側に当てたときにはっきりした。『冷たい!』 幸い休憩時間に入ったところであったのですぐに席を立った。もう、間違いはなかった。すぐにトイレに入ってまずは袋の中身を全て排液した。後は早く家に帰って袋の貼り替えをする事だ。
 演奏会の半分の時間を残して、8時ごろ文化会館を出た。冷たかった背中も車の中で体温になじんできた。すぐに風呂に湯を張り、風呂場が暖まるのを待つ間に、自分は濡れたシャツや下着の替えの準備をした。風呂場で着替えると、下着からシャツ、チョッキまで濡れていた。風呂に入り、腰から下を湯船に入れる。少し身体が温まったところで、洗い場に出て、妻と袋を外す。土手がかなり膨張して袋の接着面を押し上げており、皮膚にきちんと貼りついていない。土手が変形し、身体を曲げるたびに少しずつ浮きあがったり裂け目ができて、ちょうど今晩遂に漏れ出たのであろう。接着が弱くなっていたので、比較的容易に外すことが出来た。温水で洗い流しながら、土手の残骸を取り除いたり汚れを落とした。今回は浴室なので流れ出ても気にすることはない。お湯で流せばよい。一応貼り替えの下準備は出来たので、妻は2階で新しい袋を貼り付けるための手配を整える。自分は、流れ出る液をシャワーで洗い流しながら、タイミングを見計らって尿漏れパッドを癌組織に当ててテープ止めする。癌組織は袋の中で大きくなっていたため、今まで使っていた尿漏れバッドでは下側をカバーすると上部がはみ出してしまった。急いでパジャマに着替えて2階に上がり、新しい袋の装着に備える。流れ出る液はペーパータオルで拭き取りながら、これまた液の漏れが止まっている一瞬のタイミングを見計らって、(土手を築く材料は品切れのため)直に貼りつける。バタバタしながらも何とか袋を取り替えることが出来た。今回はお湯を流すこともなく、土手を作る必要もなく、スムーズに貼り替えることが出来た・・・と思った。
 ところが、10時ごろ、再び脇腹から背中にかけて生温かい感触が伝わってきた。触ってみると・・・漏れている。すぐに袋の中身を全て排液し、妻を呼んで再び貼り替えないといけないことを告げる。今回も剥がすときに使ったスプレー(サニーナ)の後が油で濡れているようだったので妻に「そもそもこれはどんなもの」と聞いたところ妻が「赤ちゃんのおしり拭きに使うもので脂分が含まれている」と言ったことで思い当たる節があった。「皮膚が脂分を含んだ状態で貼りつけてもはがれやすいよね。それに、風呂から出て急いで貼り替えたので肌がちゃんと乾燥していなかったのではないのかな。」と言うと、妻も「そういえば、看護師さんは石鹸で周りを洗い流した後、ドライヤーで乾かしていたわね。」といい、慌てていたために我々が犯してしまった手落ちが次々に見えてきた。こうなってくると、「こりゃ素人には大変だね。」という半分本音の“冗談”も出てくるようになった。とにかく、今日2回目の貼り替えが終わった。願わくば、残り3、4日漏れないでいて欲しい。

4月14日(水)
 残念ながら、期待は裏切られ、袋は昨晩遅く口を開いてしまった。接着面の一部が白く膨張してその横が皮膚から剥がれて口を開けていた。そのままでは横になれば漏れてしまうが、貼り替えてしまうとなると大仕事になる。結局、口を開けたのは1cm未満で、場所も液が溜まりにくい上部に位置していたので、テープで押さえつけ、万一に備えて尿漏れパッドで吸収できるように貼りつけて、応急処置とした。そして、3時間ごとに起きて排液し、開いた口に負担が掛からないようにすることにした。そして、今日、予約外ではあるが皮膚科の処置を受け、病院でまたまた貼り替えをすることにした。
 今日は、妻も本来は自分の行きつけの病院の皮膚科で処置を受ける予約をしていたのだが、それをキャンセルして車で日赤まで連れてきてくれた。皮膚科外来の手続きを済ませて診察を待っていたが、排液のためにトイレに行くついでにエレベーターホール前に行ったところ、外科35病棟の看護師長にお会いし、今日皮膚科に来ていることを伝えると、ストーマなどの利用を専門にしている女医さんにも知らせておくと言ってくださった。お礼を言って、再び皮膚科前で診察を待っていると、すぐに名前を呼ばれた。行ってみると35病棟の看護師長さんが呼んでくれたY先生(女医さん)も来ておられた。形成外科の処置台の方に案内され、Yさんが袋の貼り替えをして下さる。土手の材料(皮膚保護剤)も持っておられるということで、ちょうど妻の参考にもなると思い、さっそくお願いする。直貼りしているので少々の痛みはあるが、それほど強いものでもなく、無事剥がすことが出来た。妻は土手の作り方についていろいろノウハウをお聞きしている。今回直接相談できたことで、開ける穴のサイズを変更するなど、ずっとやり易くなったのではないかと思われる。
 一方、腫瘍の組織がふやけながら大きくなっていることにつき、M先生に相談した。袋の状態ではモーズ軟膏は使えないが、固定化するときだけガーゼ対応にして、部分的にモーズ軟膏を付けて翌日固定化されたところを削ってはがすようにすれば、多少形も小さくできるのではないかと提案した。その場合には、日赤に入院するか、今朝お話を頂いたベテル病院に入院してそこから通うこともできる。とにかく、何らかの方法で形も小さく抑える手立てを考えて頂きたい旨をお願いした。

 その後、外科35病棟に移動し、看護師のMさんにお会いする。実は、今朝、Mさんから電話をもらい、松山ベテル病院の緩和ケア病棟の1室が来週月曜日以降空くことが分かり、どうするかの相談をしたいとの連絡をもらっていた。妻とも相談したが意見は初めから一致していた。Mさんには、今回の機会を放棄すれば次回いつ空くか分からないので、これを機に入院することにする。ただ、準備等もあり4月21日(水)2時ごろの入院にして頂きたい、というお願いをして、再確認をとって頂くことにした。そして、夕方、Mさんから妻に連絡があり、21日の入院でOKだが、1時ごろまでの入院に早めて欲しいとのことであったので、了解したとのことであった。遂に、ホスピスに入ることになった。もちろん、体調が回復してホスピスを退院するようなケースもあるのであろうが、めったにないことであろう。体調が回復して一時的に自宅に戻ったり、外泊したり、小旅行に出かけたり、などということはあるかも知れない。ホスピスに生活のベースを置きながら、できるだけ自由に生活をアレンジするということだろう。いずれにしても、次のステージに移ることになると思われる。

4月15日(木)
 今日は、運転免許証の更新を済ませた。車を運転できる機会は限られてしまったが、それでも免許は更新しておきたかった。ただ、ベテル病院入院等を考えると、短時間で済ませたかった。隣の市の新居浜警察署で行えば免許証を即日交付してもらえるので、午後から妻に乗せていってもらった。警察では手際よく申請者をさばいていく。最後のビデオ講習を受けている途中で、腹部からSOSの匂いがしてきた。すぐにトイレに行って排液した。まだ、漏れ出す直前だったので、排液しておけばしばらくは動き回っても問題なさそうだったので、そのまま買い物をして帰宅した。
 夜まで何とか漏れないで済んでいたので、今晩もテープで漏れそうな個所を補強してパットを当ててあと1日頑張ろうと思っていたところ・・・夜10時ごろになって遂に・・・漏れた。今回の貼り替えはそこそこうまくいったような気がする。病院で貼り替えてもらったのだが、少しとはいえ“食べている”ということが念頭になかったため、皮膚保護剤(土手)がかくも早く、大きく膨張するとは考えていなかったものと思われる。

4月20日(火)
 とにかく、ここ数日は袋の漏れと貼り替えに振り回された。実際、2日ともたない。どうしてここまで漏れてしまうのだろうかと不思議に思う程、短時間で漏れてしまう。大きな違いといえば、“少し食べている”ということと、38度前後の熱が続いていることくらいで、皮膚保護剤(袋の接着面と土手)が浸出液に浸っている時間が長くてすぐに膨張してしまうことと、体温が高いため皮膚保20100419_1.jpg護剤(袋の接着面と土手)が熱でより柔らかくなって浮きあがってしまうのかも知れない。もうひとつは、この間に袋の中で大きく進行してしまったガン組織自体が土手に強く接して膨張させたり、袋の保護剤を膨張させたりしているのか、とにかく自分には理由はよくわからない。しかし、あまりにも短期間で袋が剥がれて漏れてしまうので、自分も妻も袋の貼り替えにまいってしまっている。
 もうひとつの悩みは、痛みだ。土手が大きいと土手が柔らかくなって、膨張して漏れに通じるため、土手を少し狭くして袋の接着部分が少しでも肌に接着する面積を大きくとった。その結果、接着力は高まって容易にふやけて漏れることは少なくなったが、しっかりと接着されているため、痛みを伴う腹部を強く引っ張り続けている状態になり、腹部の痛みがこれまで以上に強く感じられるようになった。じっとしているだけでも、腹部の痛みがきつく、しばしば顔を歪めることにもなった。これは、痛みコントロールを専門とする先生に頼らざるを得ない。

 これでは、早く病院に入院して先生や看護師さんの手を借りるのが最善の方法と思われる。入院次第、治療についていろいろ相談してみたいと思う。なお、入院の準備は、持って行く薬や薬剤が多くなることを除けば、これまでの通常の入院準備と基本的に変わらないらしい。ただ、腹部の痛み、袋の漏れなどで、外出はもとより身体を自由に動かすこともできず、ほとんど妻に頼りっぱなしになってしまった。もう少し、自分としても準備に時間をかけたいと思っていたのに、結局は何もできなかった。


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肝内胆管癌 闘病記 第10部 退院と在宅看護の開始

退院と在宅看護の開始

(2010年)
4月6日(火)
 今日は松山ベテル病院の緩和ケア病棟(ホスピス)の先生との面談の日であった。それに先立ち、胸のCVポートの点滴針の抜き差しの練習をするということで、妻に早めに来てもらった。9時10分ごろ妻が着いたので看護師にお知らせする。今日ベテル病院に行くということで点滴針を外すので、それに立ち会うという段取りだ。自分も自分の身体に埋め込んだポートを生身で見たことはなく興味を持ったが、直接はよく見えなかった。
久しぶりに点滴が付いていない状態で、これまた久しぶりの外出。10時から1時間ばかりベテル病院の担当の女医さんと話をした。ベテル病院の予約待ち患者が多いのも事実だが、症状を見て重篤な人から入ってもらっているとの事であった。私の場合、まず在宅看護で検討を進めており、まだ身体の自由が利く状態にあることから、重篤な状態とは見られなかったと思うが、在宅看護をしている間で部屋の空きが出ればできるだけ早くベテル病院に入院して治療を続けたい旨のお願いをした。ベテル病院であれば、その後も比較的自由で、体調がよければ自宅に戻ったり、外泊したりすることも自由で、なおかつ、日赤にも近く、皮膚科の治療という面では好都合のように思われた。ただ、話の端々で、「できれば自宅で過ごしたい」という気持ちが出てきているのではないかと思われ、歯切れの悪い話し方になったような気がする。その後、緩和ケアを担当される3名の先生のうちのお一人の先生とお会いし、腫瘍部分を見て頂いたり、今の生活の不都合なところなどを率直にお話させて頂いた。先生も、とにかく遠慮しないで何でも話してくれるのが望ましいということで、とても人柄がよさそうであった。もし、入院した場合には、今日お会いした先生が担当になられるとの事で、そちらの面でも心強い感じがした。

 ベテル病院から帰ってきた後は、再び点滴をCVポートにつなぎ、点滴を再開する練習を妻にしてもらった。在宅看護については、村上記念病院の先生と在宅看護の看護師によるサポートが得られることも決まったみたいで、妻にある程度の点滴の知識が身につけば、何とかなりそうであった。
 2時ごろ、日赤のY先生が来られ、腹部の袋(商品名:ウェルケア・ドレーン)の貼り替えをするので、妻に立ち会って欲しいとの連絡があった。ロビー横の処置室に集まり、まずは袋をはがす。Y先生がはがしていくが、やはり多少の痛みは仕方がない。ただ、当初から比較して、皮膚の状態は随分よくなっているとのことで、自分も安心する。今回は、妻が袋を型に合わせて切り、貼り替えも手伝った。袋に開ける穴がギリギリ限度であるため少し皮膚を引張り気味で穴に入れるため痛みが伴うが、ガーゼ交換の苦労や皮膚のただれと比較すれば、一長一短はあるし、少々の我慢も必要だろう。後は、村上病院の先生とのアポをとって退院の日程を決めることになる。

4月7日(水)
 昨夜はそこそこ眠ることが出来た。4月8日に退院することを決めていたので、気持ちの上でも安定している。村上病院の在宅看護の支援もあるが、基本的に妻のサポートで何とかなりそうな気がしており、安心して任せられるような気がする。
 日中の痛みは、ある意味覚悟の痛みで、これ以上の増量は睡魔とだるさの副作用で全体としてのQOLを下げてしまう。予定通り在宅看護にしても、家に居られるのは長くて1ヶ月くらいだろうか。その間にベテル病院に入院する可能性もあり、それに備えての身辺整理もしておきたい。
 その間に、いいタイミングでベテル病院が空けばいいのだが。人生最期の営みを、ここを中心に過ごすことになるかも知れない。症状と体調次第では、生活の基盤は西条との2ヶ所になるかも知れない。人生最期を自宅で迎えたいという人が多いと聞くが、家族の負担を考えると、むしろ延命治療は施さず、可能な限りの痛み止めのような辛さや苦しみを避ける処置だけを適切な病院(今回はベテル病院)で施してもらい、穏やかな人生を全うしたいと思う。あれこれ在宅看護のための準備を進めていくと、これまでもそのように考えてきたが、より一層そうした心境になってきた。

4月8日(木)
 今日は退院。夜中の3時半頃に目が覚め、暫く寝付かれなかったがその後また寝てしまっていた。何だか身体が熱い。熱を計ると38度ほどあった。病室が暖かく身体がうまく調整できなかったのだろう。襦袢を脱いで少し涼しくなってから計りなおすと37度台の微熱くらいに下がっていた。退院となると、普段の服装で点滴を付けたり、普段着のままトイレで排液したりすることになるため、少し早めに普段着に着替えた。今のところ、点滴にしても、排液にしても、普段着で問題なくできている。ただ、廃液の匂いがきついため、トイレの水を何度か流しながら排液する。
 今日の12時ごろに輸液の交換タイミングになるので、妻には12時前に病院に来てもらった。輸液の準備作業のおさらいをし、持ち帰りの荷物を整理する。輸液3日分(6袋)。これだけでも結構な重さだ。点滴用ポートに刺す針3回分、点滴用のチューブセット3セット、痛み止めのシール、など数多くの治療具を持って帰ることになった。

 午後4時ごろ自宅に戻った。10日間ほどであったが久しぶりの感じがする。ずっと病院の中にいると、自宅の部屋20100408輸液システムは肌寒い。まだまだ空気は冷えている。事前に妻が寝室を整理してくれていた。自動輸液システムも、ポールに吊り下げて使えるようにしてくれていた。基本的には病院にいたときと変わりはないが、自宅に戻って一つ割り切ったことがある。30日に入院して以降絶食を続けてきたが、水分についても一貫して「水」をごくわずかに飲む程度にとどめてきた。なぜなら、これからも「食べる」ということが許されず、極めて辛い我慢を続けていかなければならない。それが、「水」ではなくお茶・ジュースを許せば、次にはヨーグルトやプリンならいいか、という気持ちになり、次第に欲が出てきて我慢できなくなる。だから、「水をわずか」で毎日を過ごしてきた。しかし、S先生も飲食を制限している理由は「感染するリスクが高まる」ということだけのようであり、それであれば、毎日の体温チェックなどで気を配り、感染の兆候があればすぐに検査するようにして、ある程度ジュース・ヨーグルト・プリンなどは解禁しようということにした。私が何も食べなければ、妻も気を遣って次第に食事が細くなり妻の健康にも差し障りが出てくるかもしれない。わずかながらも私が一緒に何かを口にすれば、その方が妻も食事をしたりお茶にするときに気を遣わなくて済むはずだ。わたしも無理して意地を張る必要もない。短い残りの人生、なにも我慢する必要はないではないか、という結論に達した。(ただ、結果的には誘惑に勝てず、その後流動食の範囲を超えることもしばしばあった。しかし、感染に悩まされることは無かった。)

4月9日(金)
 今日は、在宅看護サービスを委託する西条の村上記念病院(看護は関係組織の訪問看護ステーション水都が実施)の外来診察予約日であった。予約は11時。村上病院はこれまでもあまり利用する機会は多くなかったのだが、親類では利用も多く、私も駅に近いので駐車場を勝手にお借りする(?)などの関係は時折あった。
 さて、今回担当医として診て頂けるのはN先生。私からは現在の症状や体調についてお話し、懸念事項などについても今感じている事柄をお話しさせて頂いた。基本的には、今のところ妻と二人で自立して対応出来るので、訪問看護は経過確認と異常時・緊急時対応になるであろうとのことであった。
 約30分余りお話をし、必要な薬剤の追加処方をして頂いた。実務的な詳細は、月曜日に最初に訪問して頂いたときに相談することとなった。その後、会計の前で待っていたが、初めての内容もあり計算に手間がかかるとのことで、帰宅を勧められた。月曜日には再度お会いすることになるため、我々も帰宅することにした。
 家に帰る前に、準備をしておいた退職の挨拶状の印刷を印刷会社に依頼した。4月も冒頭から入院することになったため、何かと準備が遅くなってしまった。
 帰宅後、入院中に入力しておいた住所録をデスクトップパソコン側に移し替えようとしたけど、ソフトのバージョンが異なっていたため、データ修正にずいぶん手間取った。それでも、基本データは取り込めたので、作業はかなりはかどった。

4月10日(土)
 今日は土曜日で天気もよかった。そこで、午後は娘夫婦のアパートに寄って孫たちにも会った。二女はこの春から1年生。さっそく「こくご」の本を読んで聞かせてくれる。長女はすっかりおねえさんぽくなり、三女はその長女に甘えている。少し身体を休めてから、娘婿の運転で、孫たちと一緒に玉川ダムの公園の桜を見に出かけた。山の中ということもあってか、桜は今を盛りに咲き誇っていた。今年は、やはり桜を楽しむ期間は例年よりもかなり長いように思われる。
 実は、今日は袋の貼り替え予定日(1日延ばしたのだけれど)。夜、風呂で下半身を湯船に沈め、温めると共に汚れを洗い流した。左胸にCVポートが埋め込まれ、右胸に痛み止めパッチが貼られ、それぞれ防水シールで保護されているけどなかなかお湯をかけるのが心配で、上半身は濡れたタオルで拭くのが今のところの限度。ただ、下半身はこの入院中にまたまた足の“むくみ”がひどくなったのではないかと気にかかり、温めながら丹念にマッサージを行った。
 お風呂から出て、いよいよ袋を貼り替える。今日の心配事の最高潮。妻は、ビニールシートと吸水マットを敷き、ビニール袋を腹部に貼り付け、患部を洗い流すお湯を受ける予定。袋は下に築いた皮膚保護剤の“土手”が盛り上がり、既に浮き上がり始めていた。サニーナで剥がれ易くしながら、袋を外していく。土手があるため皮膚との接着部分が少ないので、比較的痛みを感じることも少なく、剥がし終えた。ところが、露出した穴からは浸出液が次々と漏れ出てくる。ペットボトルに入れたお湯で洗い流すものの、ビニール袋でちゃんと受け止められずこぼれたり、袋のテープが剥がれたり、てんやわんや。二人がワーワー言い合いながら、ちょっとずつ作業が進んでいく。新しい袋を貼りつける前に、洗い終わった腫瘍の周りに新しい土手を作っておくのだが、これも流れ出る浸出液の合間を見計らいながら築いていかなければならない。そして、袋を貼り付けるのだが、開けた穴の大きさは腫瘍が通るギリギリのサイズ。袋の中でますます醜くなりながら大きくなっていく腫瘍の姿に、妻も「大きくなって袋の穴に入らなくなったらどうなるんだろうね」と不安を隠さない。実際、既製品がなくなったらどうなるのだろかという不安は、遠い先の話しではない。貼り替え作業場は大混乱だが、それでも何とか最大の不安事項をやり遂げた。後は、貼ったところから漏れ出さないことを祈るだけだ。


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プロフィール

Matsumoto Mitsutomi

Author:Matsumoto Mitsutomi
1953年生まれ
男(♂)
51歳で肝内胆管癌が発覚
「能天気が最良の薬」をモットーに今を生きています

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